chatter 頭の中のひとりごと
内省とは
自分自身の思考や感情へ積極的に注意を向けることを意味するにすぎない
苦痛を感じているときに内省を実行しても有害無益であることが明らかになっている
それは仕事のパフォーマンスを低下させ、適切な判断を下す能力を阻害し、人間関係に悪影響を及ぼす
暴力や攻撃性を助長したり、さまざまな精神疾患を引き起こしたり、体調悪化のリスクを高めたりすることもある
精神を思考や感情に関与させる方法を誤ると、プロのアスリートがキャリアを費やして身につけた技術を失ってしまうこともある
さもなくば、理性的で思いやりのある人々が、不合理であるばかりか、道徳にもとる決断を下す可能性さえある
要するに
思考によって思考から救われないことがあまりにも多い
思考は油断ならない何かを生み出している
それがチャッターである
チャッターの構成
循環するネガティブな思考と感情だ
こうした思考や感情は、内省という素晴らしい能力を祝福ではなく、呪いに変えてしまう
私たちの行動、意思決定、人間関係、幸福、健康を危険にさらすのだ
人間は、いかなるときも「いま」にしがみつくようにはできていない
私たちの脳は、そうするように進化していない
目覚めている時間の3分の1から2分の1のあいだ、私たちはいまを生きていないのである
私たちは、自分自身に話しかける
誰もが「内なる声」を発している
要するに、私たちはみな、頭の中に何らかの形の声を持っている
言葉の流れは私たちの内面生活から切り離せないので、音声障害に陥ったときでさえ途絶えることはない
例えば、吃音のある人は、声に出して話すときより、心の中でのほうがより流暢に話せるという報告がある
手話を使う聾者は、独自の内的言語を持っているにもかかわらず、やはり自分に話しかける
私たちの内面における独り言のスピードは、声を出して1分間に4000語を発するのに匹敵するという
頭の中の声は実に早口なのである
愚痴は周囲の人を遠ざけてしまう
否定的な内なる声を繰り返し他人に伝えると、チャッターと社会生活の大いなる皮肉の一つを生み出すことになる
つまり、私たちは元気づけてもらいたくて同情してくれる知り合いに胸の内を語るのだが、それが度を越すと、自分が最も必要とする人を遠ざける結果になってしまう
私たちの多くは、聞いてあげられる愚痴の容量に限界がある
たとえその相手が大切な人であってもだ
人間関係はお互い様だから続くものだ
会話のバランスが偏ると、社会的繋がりはすり切れてしまう
チャッターは、攻撃対象に相応しくない相手に攻撃の矛先を向けるよう私たちを導く
例えば、上司に叱責されると、私たちは子供に八つ当たりする
私たちは、他人の共感を求めている
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